野茂紀久子は野茂英雄の嫁。結婚の馴れ初めや息子の名前は?

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若い頃に妻と出会う

1968年8月に大阪府大阪市にて誕生した野茂英雄は、少年時代に野球をはじめました。10代前半の頃は無名選手だったものの「トルネード投法」の原型となる投法を開発した事で高校時代に大きく伸び、3年生の頃にはプロチームからのオファーが来るまでになりました。

しかし、高校を卒業してプロ入りする事はなく新日鐵堺入りし、社会人としてさらに下積みを続ける事を決めます。そんな頃に私生活での転機がやってきました。それは、社会人野球選手時代にチアガールとして活動していた森本紀久子という美女と出会ったという事です。

1990年にプロ入りした彼はルーキーシーズンから大活躍したのち、翌1991年に森本紀久子と結婚します。そして彼女は野茂紀久子という名前になります。結婚してから一年が経過した頃には長男も誕生した事でさらにモチベーションを高めた野茂選手は国内でさらなる活躍を見せます。

1995年からはMLBで活躍

まだ日本人選手のメジャーリーグ移籍の仕組みが整っていなかった中、1994年のシーズンオフに近鉄球団と揉めたもののなんとかメジャー移籍を果たしました。そして1995年にロサンゼルス・ドジャースからMLBデビューを果たすとアメリカにおいても初年度から目覚ましい活躍を見せ、なんとオールスターでは先発投手を務めるまでになります。

その活躍ぶりは日本でも極めて大きく報道され、当時の日本の人々は毎日飛び込んでくる野茂英雄に関するニュースに大注目していた事で知られます。なお、2年目の1996年に自身初となるノーヒットノーランまで記録しました。1990年代末にMLBで不振が続いた時期があるものの2000年代前半には見事復活し、充実の晩年を過ごした上で日米通算通算200勝を達成し、2008年に引退しています。