石原裕次郎身長低い?体重は?慎太郎の弟は昭和映画俳優大スター

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昭和の映画スター石原裕次郎とは

石原裕次郎といえば、1986年まで放送されていたテレビドラマ「太陽にほえろ!」のボス役の俳優として記憶している人も多いでしょう。

裕次郎は、1934年(昭和9年)に兵庫県神戸市で生まれました。父が汽船会社に勤めていたため、幼い頃は何度かの移住を余儀なくされています。

慶応義塾高校から慶応義塾大学に進みましたが、兄の慎太郎が「太陽の季節」で芥川賞を受賞し映画化されたため学生言葉とヨットの指導のために撮影現場を訪れたところ女優の水の江滝子の目に留まりました。

22歳で「太陽の季節」に主人公の友人役で出演したことをきっかけに、大学を中退して日活に入社します。

デビュー作の「狂った果実」では主演を務め、瞬く間に昭和の大スターとなりました。1957年には第1回のエランドール賞新人賞を受賞しています。「俺は待ってるぜ」が160万枚の大ヒットとなり、歌手としても知られるようになりました。

石原裕次郎の曲では、「赤いハンカチ」や「銀座の恋の物語」「ブランデーグラス」などが有名です。1963年には、株式会社石原プロモーションを設立しています。

1969年に日活との契約を終えた裕次郎は70年代になると活躍の舞台を映画からテレビに移し、52歳で亡くなるまで精力的に活躍しました。

兄、石原慎太郎との関係は?

一橋大学に在学していた1956年にデビュー作「太陽の季節」で芥川賞を受賞し、政治家としても活躍した兄の石原慎太郎は弟の裕次郎をどのように見ていたのでしょうか。

1996年に出版された「弟」は、裕次郎の死から10年を経て発表された作品です。2人の経歴からなに不自由なく育ったと思われがちですが1951年には父の潔を亡くしており、このとき慎太郎は19歳、裕次郎は17歳です。

父の遺産を頼りに経済的にひっ迫した生活を送った時代があったからこそ、人生をタッグマッチで生きたといえるほど仲のよい兄弟でいられたのかもしれません。