京都駅南側怖すぎ危険地区!ヤバい崇仁地区の人気マンション紹介!

生活

寛永通宝の鋳造が行われた歴史ある地域

1700年、江戸時代に流通した寛永通宝の鋳造が行われ、六条大西組が成立した、歴史ある地域が崇仁地区です。そして、市町村制が施行された後は、紀伊郡柳原町となり、合資会社柳原銀行が設立されました。

1918年に京都市に編入されましたが、1964年の東海道新幹線開通により、大阪府から訪問しやすい等、交通の利便性が高い地域として、地元では知られています。現在は、在日韓国人が多く住む地域であるため、2005年に公開された映画「パッチギ!」の舞台にもなりました。

京都市内でも交通の利便性が高い地域という理由もあり、一時期は1万人近くが住んでいたものの、高齢化により2019年には、1,300人にまで減少してしまいました。ただ、2023年には京都市立芸術大学が移転してくる予定で、人口が増加するという期待もあり、崇仁地区の地価は上昇しています。

崇仁地区が危険地域と呼ばれる理由

在日韓国人が多く住んでいる、あるいは世間一般とは違った特殊な職業についている人が多いため、崇仁地区は京都市内でも異質な地域と言われてきました。1910年の韓国併合により、朝鮮半島から多くの韓国人が日本に訪れた結果、京都市の中でも韓国人が多い地区となったのです。

在日韓国人には人気がある一方、他の地区に住んでいる人たちとの交流は盛んではなかった上、団地や公園も建て替えが進まず、老朽化が進んでいるために、危険な地域と言われるようになりました。